2026年3月 四旬節:祈り、断食、そして施しの旅
 今は四旬節です。私たちは再び、イエス・キリストの受難、死、そして復活を思い出すよう招かれています。この季節は私たちキリスト教徒にとって非常に大切なものです。なぜなら、教会の典礼と伝統を通して、私たちは救いの歴史を思い起こし、その感謝を深めるからです。聖パウロが私たちに思い起こさせているように、「今は恵みの時、今は救いの日です」(コリントの信徒への手紙二 6:2)。
個人的に、この季節に最も感謝しているのは、毎週金曜日に十字架の道行きの祈りを捧げる機会です。キリストの苦しみについて黙想することは、私の信仰を深め、私たちがどれほど愛されているかを思い起こさせてくれます。四旬節の間、皆様には、日曜日のミサに出席するだけでなく、普段の生活の中でも教会で過ごす時間を増やすなど、個人的な霊的鍛錬に取り組むように心からお勧めします。祈りは私たちを神の御心と再び結びつけます。フランシスコ教皇が、かつて述べたように「祈りは信仰の息吹です」。祈りがなければ、私たちの霊的生活は弱まります。
断食もまた、この聖なる時節における強力な実践です。断食は単に食物を減らすことだけではないことを私たちは知っています。それはまた、私たちの霊的生活を損なう有害な言葉、有害な情報、そして態度を避けることでもあります。預言者イザヤは私たちにこう諭しています。「わたしが選ぶ断食とは、不正の束縛を解き、飢えた人にパンを与えることではないか。」(イザヤ書58:6-7)真の断食は、体と心の両方を清めます。
最後に、四旬節は私たちに施しをすることにも招かれています。もし祈りが私たちの心を神へと高め、断食が私たちの利己心を空っぽにするなら、施しはその空間を他者への愛に満たします。イエスはこう教えておられます。「あなたがたがこれらのわたしの兄弟である最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)施しは単にお金を与えることではなく、時間、注意、思いやり、そして慈悲を与えることです。それは私たちの信仰を、愛の行為において具体的なものとしていくことです。フランシスコ教皇が私たちに思い起こさせてくださるように、「四旬節は、自分のためだけに生きるという幻想から解放される時です。」
この四旬節が、祈りを通して私たちの心を新たにし、断食を通して欲望を抑制し、施しを通して私たちの手を広げますように。共にこの旅路を歩む中で、私たちが変容した心で復活祭を迎え、復活の主を喜ぶ準備ができますように。