吉が捕えられて殉教の旅に加わった場所は、「鮮血遺書」の記述によれば、当時の街道と枝川が交差していた地点と思われますので、 地名に残る痕跡から甲子園教会の北東に位置する現在の甲子園五番町辺りと推定できます。(地図中の矢印の辺り) 甲子園五番町の東側に「四軒茶屋公園」があります。ここは枝川の東岸にあたり、 街道沿いに数軒の茶店が並んでいたことからこの名が付いたそうで、この公園が当時の名残となっています。
一行が通ったと思われる中国街道が枝川を渡るところに「六石(ろっこく)の渡し」がありました。 この場所に、杭を打ち込み、その杭の上に板を渡すという至って簡単な造りの橋が架けられましたが、大雨で川が増水すると橋が水没するため船渡しとなったそうです。 渡しの両岸には街道を行き交う旅人を目当てに茶店が立ち並びました。 茶店では餅が大変よく売れて一日に六石(六千合)の餅をついていたと伝えられ、これに因み「六石の渡し」と呼ばれたそうです。 現在も甲子園五番町の西側に「甲子園六石町」という地名が残り、 往時を偲ぶことができます。死刑を命じられたキリシタンの一行は厳しい旅路の中、この辺りで束の間の休息をとったのでしょう
甲子園五番町交差点を通る甲子園筋(旧枝川)
かつての枝川は今では美しく整備された道路となり、吉が生きていた時代から随分様変わりしました。 自ら進んで枝川の畔(ほとり)で殉教者の一行に加わり、長崎の地で帰天したフランシスコ吉は、 枝川での捕縛のわずか九か月前に洗礼を受けたばかりでした。吉の驚くべき熱誠に思いを馳せ、甲子園筋周辺を散策してみてはいかがでしょうか。