「希望の巡礼者」
大阪・高松教区で指定された教会への巡礼を始めましたか?すでに巡礼を始めた方や、19の教会巡礼を終えた方もいるかもしれませんね。
2025年の大聖年のテーマは「希望の巡礼者」です。
このテーマは、私たちが信仰を強く持ち続けるように挑戦を促しています。
教皇フランシスコは、この大聖年のテーマに「希望」を選びました。
それは、希望と信頼の雰囲気を取り戻し、与えられた希望の火をもう一度燃え上がらせ、開かれた心と信頼する心、
そして未来を見通す視点で前を向くことで、新たな力と確信を得るためです。希望は決して私たちを裏切りません。
それは、神の愛が聖霊によって私たちの心に注がれているからです(ローマ5:3-5参照)。
私たちは愛されているからこそ希望を持つことができます。神はまず私たちを愛してくださいました(1ヨハネ4:10参照)。
その無限の愛こそが、私たちの尽きることのない希望の源です。「神の愛がある限り、希望は消えません」。
死も、現在のことも、未来のことも、神の愛から私たちを引き離すことはできません(ローマ8:39参照)。
この希望が、私たちを生き生きとさせる油となります。それは花婿が来るまで尽きることがありません(マタイ25:1-13参照)。
教皇ベネディクト16世はこう言いました。「希望を持つ者は違う生き方をする。希望を持つ者は新しい命を与えられた」(『希望による救い』第2章)。
今日のキリストの弟子たちへの招きも同じです。希望の証人となり、希望の道具となることです。希望を持つ者は物事を違う目で見て、感謝します。
希望を持つ者は、コップに水が半分しかないか、半分もあるかを気にしません。希望を持つ者は、人類の渇きを癒す生ける水の泉から飲みます。
私たちは希望の巡礼者です。共に前に進むよう招かれています。共に歩む教会として、使命を果たすために、大シノドスの最終文書をガイドとして、
「向こう岸へ渡ろう」(マルコ4:35参照)というイエスの呼びかけに従いましょう。
大聖年のロゴには、神の民が船に乗り、荒波を進む姿が描かれています。
十字架がその船の錨です。同じ船に乗る私たちは、関係を変えるよう求められています。
友情と交わりの中で成長し、互いの違いを認め合います。
広い網を投げ、新しい道を見つけ、共に分かち合い、決断するプロセスを変える努力をします。私たちは互いを信頼し、耳を傾けることを学びます。
どうでしょうか、この巡礼に参加してみませんか?

