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新年 2024年
 新年を迎えるにあたり、救い主の母であり、私たちの母であると同時に、本物の弟子の模範であるマリアを手本にすることを勧めます。 教会は年の最初の日、つまり1月1日をマリアに捧げます。  聖ルカ福音書記者は、マリアを祈りと観想の女性として描写しています。“マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた。” ここで、マリアは祈っていました。マリアは完全な人間です。彼女は人間として、過去に戻ってそれを振り返る能力を持っていました。 彼女は羊飼いたちから聞いた、幼子イエスについてあらゆることを考えました。 聖ルカは、マリアとヨセフが、何人かの教師たちと一緒に神殿の中にイエスを見つけた時、聖母マリアについて同じ描写を繰り返しています。 “マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた。”

彼女がすべてを心に納めて、思いめぐらしていたことは、観想と呼ばれる一種の祈りであり、 崇高な祈りの形です。聖フランシスコ・デ・サレジオは、観想とは、神に対して愛の感情を動かすために、意図的に自分の思考と精神を神に近づけることであると定義していました。 簡単に言えば、観想とは、私たちの思考と心を天国に引き上げることです。  聖ルカ福音書記者は、マリアが自分の人生の出来事と、その出来事が御子とどのように関係しているかについて黙想したと語っています。 これはまさに、マリアがこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた時にしたことです。観想を通して、彼女は自分の人生に神の存在を強く感じました。 このようにして、彼女は弟子として何をすべきかを示し、出来事を振り返り、その中で、神が私たちに何を言われているのかを見ます。 私たちが自分の人生を振り返るとき、祈りの内に自分の経験を思い起こすとき、神の存在と聖霊の働きは明確で力強いものになります。神の存在に気がつく人になるのです。

今年1月1日「神の母聖マリア」の説教の時、私は甲子園共同体に、過去・2023年を振り返るよう求めました。「神は私の人生で何をしてくださったのですか?」 「神はどこにおられたのですか?」「2023年はどんな年でしたか?」  兄弟姉妹の皆さん、神は私たちの人生の出来事の中で、決して私たちに語りかけることをやめません。 祈りの中で人生の出来事を振り返るなら、主の優しい声を聞くことができます。私たちは祈りと観想の中で主の存在を強く感じます。

聖母マリアと共に、2024年を迎えます。
明けましておめでとう!