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『日本26聖人物語』から
本文は右の書籍から
引用したものです
聖母の騎士社/聖母文庫 日本26聖人物語
(著者:ゲルハルト・フーバー/訳者:アンジェロ・アショフ)

(京都から長崎までの殉教者たちの護送道中の事件に関して触れた部分から)

 1月9日の早朝、受刑者たちは堺の町を連れ出され、長崎への遠い旅路についた。 経路は瀬戸内海に沿っていたので、寒さは内陸ほど厳しくはなかったが、 その代わり、霧と雨と泥んこ道とが旅をいちじるしく難儀なものにした。
 当日の昼に、一行は摂津の国尼ヶ崎という小さな集落に着いた。 ここで小休止があった。 受刑者たちは、役人と兵士たちが茶屋で食べたり飲んだりする問、道端の湿った草の中で待った。 彼らは与えられた一個のにぎりめしを食べ、近くを流れている小川の水をやっとの思いで手ですくって飲んだ。 出発のために、人々がふたたび駆り集められたとき、30がらみのひとりの男が息せき切ってあらわれ、 ペドロ・バプティスタ神父の前にひざまづいた。 そして一言も発することができずに、ただ泣くばかりだった。 兵士たちが駆けつけて男を引きはなすと、役人のひとりが彼をどなりつけた。 「お前は何者か。見たところキリシタンだな。ここにいるこの連中を見てみよ。 彼らは太閤さまの禁令を破り、異国の邪教を広めたのだ。 そして、そのために捕らえられ、数日のうちに処刑されることになっておる。 即刻心を改め、異国の邪教と縁を切らなければ、お前にも同し運命が待ち受けているぞ。 さあ、さっさと消え失せろ!」。 しかし男は首を横にふって、口ごもりながら言った。 「いいえ、私はここにいる方々と共に処刑されたく存します。 私をこの中に加え、長崎に同行させて下さいませ。 もしお許しなければ、一歩もここを引きませぬ」。 役人のひとりが彼を打ち、激怒して叫んだ。 「何を申すか、この愚か者めが。それでも人の子か。 人間誰しも、その生をさずけてくれたふた親を持つ。気の狂うた者でない限り、親に対する務めを心得ているもの。 この日本には、それを心得ながら、わざわざ子の務めをないがしろにするような者はおらぬ。 お前は、これらの異国人、人間の姿をした怪物共にたぶらかされ、 日本人の魂をすっかり投げ捨ててしまったのだ。さあ、さっさと消え失せよ!」。 だが男は、怒りにも罵言にも動ずることなく、落ち着きはらって答えた。 「これは異なことを仰せられまする。 人は両親を持ちますが、その両親もまた両親を持ち、さらにその両親も先祖代々の長い系列から由来します。 そして、その系列は、すべての生命の根源にまします神にさかのぼります。 あなたはそれを御存知ないとみえますな。 神を知ることに力を尽くす者のみが真に人間と呼ばれうるのです」。 いささかの恐れも見せずに男が鋭く言ってのけたので、役人はますます激昂した。 「お前たち、この馬鹿者を引っ捕らえよ」と大声で命令を下された。 兵士たちはどっと男に襲いかかり、後手に縛り上げた。 しかし彼は、いかにも満足気な様子で言った。 「これで私も神の恵みによって殉教者となりました。 これ以上の喜びを私は知りません」。 そしてペドロ・バプティスタ神父の方を向いて言葉を続けた。 「神父さま、私をお忘れでしょうか。私は京都の者で、大工の仕事をしております。 八ヶ月前に洗礼を受けてカフスという名をいただき、堅信の際にはフランシスコと名付けられました。 なおざりな信仰生活を送ってはおりましたが、 それでも神は、殉教者になりたいという願いを私の心にお与えになったのです。 それで、あなた方のあとを追ってまいりました」。 自分が洗礼を授けた信者の、この少しも犠牲を怖れぬ雄々しい信仰を見たとき、 ペドロ・バプティスタ神父の喜びはどんなに大きかったことだろう。 それは宣教師である彼の心に幸せな充足感を与え、宣教生活のすべての困難と労苦を忘れさせた。 そしてさらに大きな犠牲を喜んで引き受けようという思いが彼の心を満たしたのだった。
 役人たちは、ただちに、ことの一部始終を大阪奉行と京都奉行石田光成に報告し、 後者に対して、「罪人」の数が25人にふえたことを秀吉に伝えてくれるように依頼した。

(26聖人の最後を個別に総括した部分から)

フランシスコきち(吉)
京都。大工であった。 八ヶ月ほど前に受洗したばかりで、逮捕されたわけではないが、どうしても殉教者と行を共にしたいと願い、 長崎への道中の間一行に付き添って行った。そのため、遂に役人も途中で彼を捕縛、殉教者の群に加えた。 十字架は一番目。年齢不詳。
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