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追悼の言葉
ラウレンチオ小池二郎神父の死を悼む
宣教評議会会長 坂口 彰
 2007年7月13日(金)20時20分小池神父様が天に召されました。 奇跡は遂に起こりませんでした。
 2002年小池神父様が甲子園教会の主任司祭に任命され、最初の御ミサでの説教を「長い説教だ」と感じたのが、第1印象でした。 2003年に第一地区の評議員となり、評議会において神父様の人となりを徐々に理解させていただきましたが、前向きで何事にも積極的でした。 親しくさせていただいたのは、私が2005年に評議会会長になってからでした。
 ラーメン・焼肉が大好きで、よくご一緒させて頂きました。特に焼肉は「一番カルビ」のタレに加える秘伝の辛子ミソ(コチジャン)を大変気に入っておられました。 ラーメンは芦屋の店を2軒紹介していただき、私も食べに行きましたが、美味しい店でした。食べる時はいつも「美味しい 美味しい」とおっしゃっておられましたのが耳に残っております。
 神父様は一昨年初めて富士登山を行い「来年も行く」と言うものですから、「私も連れて行って下さい」とお願いし、昨年の8月に私の友人を含めて4人で富士山に登る計画を立てました。 ところが当日台風7号が関東に接近し、富士登山は中止となりました。登山は別の日となり、日程の関係で、神父様とは別行動となってしまいましたが無事富士登山を果たし、新たな人生の一ページを飾る事が出来ました。 神父さんも3人で登り、お鉢巡りをぶじ終えられました。 私は今年も富士登山を行い、お鉢巡り・宝永山の横を通って来ました。一度は登りたいと思っていました念願の富士登山を行えたのも神父様のお陰です。感謝しております。
 神父様は新しい物が好きで、パソコンのソフトも色々導入されておられました。 甲子園教会のホームページに「説教」を入れるために「ICレコーダー」を使って録音し、これをホームページに取り入れるのですが、 これなどまだ教会のホームページとしては新しい方だと思います。
 私が会長になってから、エレベータの設置問題が再燃しましたが、あくまで3階のエレベータにこだわり、積極的に評議員を説得されていきました。 小池神父様の積極性が無ければ、エレベータも完成していなかったと思います。
 昨年9月中旬に「15日にすい臓がんの末期症状と診断された。残りの命は4ヶ月」とまるで他人事のようにあっけらかんと皆に話しておられたのが強烈に残っております。 10月から「聖書100週間」を始められ「3年はかかりますよ」と、まだまだがんには負けないぞという強い意志を感じました。 私も参加しており神父様のご意志を継いで最後までやろうと参加者全員で継続することにしております。 4ヶ月が過ぎた1月に「これからは付録の人生」とサバサバとしておられました。
 6月中旬からの「スペイン・ポルトガル」への巡礼の旅を大変楽しみにしておられましたが、5月下旬に体調を崩され、旅行はドクターストップとなりました。 末期がんの一つの治療法として旅行に出掛けることがあるそうですが、私は最後の旅行に密かに奇跡を願っていたのですが、行かれなくてほんとに残念無念の思いでした。
 エレベータの祝別式の前日の6月23日、私の当日の挨拶文を持って病院へ行ったのですが、「私も明日朝までに挨拶文を送るから代読して欲しい」と言われ、朝メールが届き無事代読できました。 病院で「必ずエレベータに乗りに教会へお帰りください」と言うと「元気になって必ず行く」とおっしゃっておられました。 頭脳明晰、言語明瞭なだけに何とかならないものかと、ただただ全快を祈るばかりでした。
 7月8日(日)の朝、神父様から「今日1時に病院を出て教会へ行く」との連絡が携帯に入り皆さんと出迎えました。エレベータに乗られ工事の部分をすべてご覧になり、お御堂で最後の説教をなさいました。 まさかその5日後に亡くなるとは・・・・
 前夜に少し危ないとの連絡を受け、今夜は大丈夫だろうと聞いた2時間後に訃報を聞き、とても残念な思いをしました。

 神父様私たち信徒をお導き慈しみ下さいまして誠にありがとうございました。

 小池神父様が大好きで尊敬されていたイエス様のそばでゆっくりとお休みください。 
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