「この出来事を伝える拠り所は、ヨハネによる福音書2章1節から11節以外にはないと思います。
日本語で575字あり、少し長くなりますので、ここには引用しません。
御父のご意思であればこそそれを実現されたのですが、大量の水を上質のぶどう酒に変えられたことも印象的です。
召使たちは、2、3メトレテス(1メトレテスは約39リットル)入りの6つの石の水がめのふちまで水を満たしたとあります。
平均をとって、現在のぶどう酒のびんに換算すると、約800本になります。
わたしは、後になって上質のぶどう酒が振舞われたことにも、
結婚の好ましい姿の暗示を読み取りたいと思っています。
この奇跡で神の全能、豊かな恵み、結婚の尊厳と喜びを分かち合うことの尊さなどが示されています。
教父の中には、ミサの前表を見る人もいます。
この奥義で、聖マリア様と奇跡との関係も大切です。しかしこれが意外に難問です。
ギリシャ語を逐語的に訳すと「わたしとあなたに何がありますか、婦人よ。
わたしの時はまだ来ていません。」「わたしとあなたに何がありますか」これが第一に問題です。
新約聖書はギリシャ語で書かれていますが、旧約聖書のヘブライ語にもこれと同様の表現があり、
この言い方は、ふつう二者の対立を示し、新約聖書では、
この箇所以外(マタイ8:29、マルコ1:24,5:7、ルカ4:34,8:28)すべて敵対を表します。
しかし旧約聖書には、列下3:13のように、単なる見解の相違を表すところもあります。
フランシスコ会聖書研究所訳は、「婦人よ、このことについて、わたしとあなたとは考えが違います。」
もうひとつの解釈は、本で読んだ記憶はありませんが、言葉を慣用句として捉えずに、
文字の本来の意味にかえって、わたしとあなたとの間にあるものは、ただならぬ重大なものだとすることです。
しかし、聖書に何回も出る言い方を、例外である明らかな証拠もなく、別な解釈をするのは避けたほうがいいと思います。
「わたしとあなたとは考えが違います。」この訳も、わたしはどうかと思います。
むしろここは新共同訳がよいのではないでしょうか。信頼しあっている親子の間の言葉として、
「お母さん、ご心配なく。ちょっと待ってください。」というほどの意味ではなかったでしょうか。
6章のパンの増加の奇跡にマリア様の特別な願いがあったとは書かれてはいませんし、
また、すでに12歳のイエス様が、両親の許可なく長く神殿に留まられました。
(ルカ2章)それがイエス様のやり方ではないでしょうか。
「婦人よ」その当時実の母に向かってこういう習慣はなかったようです。
十字架のもとの聖母を考えるとき、この問題を取り上げたいと思います。
第三の問題は、「わたしの時」についてです。伏線の意味は別として、
直ちに、イエスが死によって栄光を表される時(12:23、13:1,17:1)と見るより、
ぶどう酒を作り出す奇跡の時と見るのが自然ではないでしょうか。
ヨハネの簡潔な記述からは分かりませんが、当時の結婚の祝宴は、現代のそれとは違って、
長く続くのがふつうだったようです。
そうだとすると、イエス様が奇跡を行なわれた時は1時間以上も先だったかも知れません。
ところで、「わたしの時はまだ来ていません。」を疑問文として読む学者もいるそうです。
この解釈によると、イエス様は、「ご安心ください、わたしの時はすでに来ています。
あなたの願っていることを、わたしも行いたいのです。」と言われたことになり、
6つの瓶(かめ)に水が入り次第いつ奇跡が行われてもよいことになります。
いずれにしても、マリア様の「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしなさい。」は適切な勧めでした。
12使徒のうち、ナタナエルだけがカナ出身だったようです。
それにしても、イエス様とマリア様は多くの人から愛されておられたことが想像されます。
ヨハネが、難しい問題を残しながらも、カナにおける偉大な奇跡に聖マリアのエピソードを書き残したことの意味は大きいと思います。
まだまだわたしも考え続けるつもりです。
|
|